社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

悟りと感情について。

ブログにつらつらと自分の思いを書き始めてから、心境に変化はあった。気持ちを外に明文化して吐き出すことは、心の整理に有用なのかもしれない。

 

考えは更新されている。この1年ほど、同じような気持ちから変化せずにいたため、更新できたということは素晴らしいことである。

 

私が望んでいることは叶わないと悟ってから、苦しみは軽減した。

案外、『悟り』というものは、人間が苦しみを緩和させるためのツールなのかもしれない。以下の記事が参照である。

 

salt2223.hatenadiary.jp

 

私は論理的なものに依存した方が、楽に生きられる可能性が上がるとも理解した。

 

ただ、何故か虚しさを感じた。

私は今までの人生の中で、悟ったな、と思う瞬間があった。同様に、苦しみの最中にいた時期であった。

 

私は悟ろうと思って悟ったわけではない。

苦しみの中悩むことで、考えが昇華され、そのような状態になったに過ぎない。元から、悟りたいわけではなかった。悟りを重ねたいとも思っていない。

徳が高い人間になろうだなんて、恐れ多いことを望んでいない。

 

悟って、ぼんやりとした感情、感覚の中に生きたいと願っていない。元から、私は感情、感覚は乏しい。

ただ、私は、人間らしく生きたいと願っただけなのだ。

鮮烈なプラスの感情を感じたい。人並みに、楽しいと思ってみたい。幸せに日々を過ごしたい。

 

しかし、それは叶わないだろう。

苦しみの中から昇華した私は、きっと、薄ぼんやりとした達観した感情の中に生きるだろう。

それは、今までの人生と同じだ。

 

やはり、私が求めているものは手に入らないらしい。結局、考えは元の地点に戻ってきてしまった。

鮮烈な楽しさは、私の手には届かないものらしい。鮮烈な苦しみは身近にあるのに。