社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

仕事と私について。

最近少しずつ仕事が忙しくなってきて、更新が疎かになった。忙しいと言っても、毎日残業するわけでもなく、1時間弱ほど残業するだけなのではあるが、生活リズムが変わると少ししんどい。

 

ちなみに、今までの最高の残業時間は月に20時間弱で、繁忙期以外は基本的に毎月残業は5時間くらいである。サービス残業はない。有給もいつでも取れる。ホワイトである。

 

というわけで、仕事についてつらつら書いてみたい。

この仕事でなければ、私は今にでも死にたいという思いを強めていたと思う。

 

大学院卒業、新卒採用で今の会社に勤めている。総合職採用で、研修後、システムに適性を見出され、システム部門に配属となった。正社員である。今で3年目だ。

 

私の人生の運の悪さが、今になって良い方に向かったのかもしれない。今までの人生の中で、一番集団の中で気持ち良く過ごすことができ、時間を過ごす苦痛があまりない。

 

私は生来、論理作業が好きである。今の仕事はほとんど論理作業のため、苦痛がないのだと思う。人とのコミュニケーションが少なく、淡々と論理作業をしていることができることが、私に向いていたようだ。

かつ、私の能力の長所は論理作業だけである。長所を生かす仕事に就けたということは、幸運だ。

 

勿論、上司や同僚との仕事上のコミュニケーションはあるが、そういった論理的かつ定型的な活動は、私はこなすことはできる。雑談などの非定型な活動は恐ろしく不得意である反面だ。

 

また、システム部門の上司は論理的な人が多い。かつ、若い会社で、感覚が解離している人があまりいない。次長レベルでも30代である。会社で「理不尽だ」と思うことがないのだ。

 

また、私が大嫌いな『同世代の同調圧力』が、実業務ではない(お昼休みは別である)。普段の業務の部署では同世代の同性はいない。

正社員の管理職、派遣社員準社員、と雇用形態さえバラバラである。そういう多様性がある集団の中では、私は同世代の中より自己発揮しやすいらしい。

 

実際、私は準社員のアラフォーの女性、管理職の上司に、半ば懐いている。仕事面で信頼しているし、尊敬もしている。私は、仕事で、人に恵まれたのだ。

 

私の性質は、人によって大変嫌われるものだと理解している。きっと、人と人との関わりが重要になる仕事に就いていたら、私はもう潰れていただろう。

就職活動の際、自分の適性をきちんと把握し、目的の仕事で内定をもらえたということは、私の今までの人生の中で一番の幸運だったのかもしれない。

 

世の中の多くの人は「働くことが辛い」と言う。私はそうではない。学生時代こそ苦しくて苦しくて辛くて辛くて堪らなかった。

今の仕事は、論理作業は、嫌いではない。むしろ、好きである。仕事を終わらせることに、達成感を感じる。達成感は、心地いい感覚だ。かつ、今所属している集団は、今までの人生の中で所属した集団の中で、一番好ましい。

また、上司は私を評価してくれているし、外部研修でお金も時間も投資してもらえている。

 

仕事がなかったら、私は何も罪悪感がなく、死ねただろう。ただ、今は、もし死ぬことを実行しようとしたら、会社、上司や同僚に対して強い罪悪感がある。

仕事に関しては順調だと思っている。

 

研究室時代も、研究そのものは楽しめた。私は、人間と関わるよりも、論理的な物事に邁進すれば良いのかもしれない。

適性も発揮できるし、私も苦痛をあまり感じずに作業を行うことができるからだ。

 

だから、最近は有給を取ろうとしていない。上司にしばしば薦められるが、曖昧に誤魔化している。でも、休みをもらっても、鬱々と家でごろごろしているだけなら、会社で身になる作業をしている方が、私の精神は楽なのだ。

 

私は、仕事をもっと頑張れば良いのかもしれない。