少しはましに生きるための具体的な取り組み
掲題について、取り組みを徐々に初めてみた。
以前に抽象的に書いた記事は以下になる。
以下に、具体的な取り組みを列挙する。
物に対する欲求を強めてみる。
人間に対する欲求を強く持つことは破滅に近づくが、物に対する欲求を持つことは、生活を活発化させるという点で良いことだ。
欲については、以下の記事で言及した。
対象は以下のようにしている。
- 服、アクセサリーなど、装飾品全般
- 美容に関わるもの
- 小物
今の生活では金銭的には余裕はあるため、これくらいの出費は問題ないと判断している。
気に入った持ち物だけを所持したい。それはとても気持ちの良いことである。
それらの持ち物を探すために、外出もより活発化すると考えられる。
欲に火をつけるため、グルメや街の情報を収集する。
まず、情報があり、それが欲を刺激することで、私は活発的に活動できるようになる。
ということで、まずは情報を収集することにする。
今日は、ムック本を買ってきた。ネットには多くの情報があるものの、あまりに多すぎて分別する労力が多く必要になる。
その労力を削減しようという試みだ。
今日の感覚では、私の欲は多少昂進されたように思う。今週末は風邪っぽくて外出はしないが、来週末以降、情報を参照して動くことができるのではないかと思う。
具体的な例を挙げると、京都文化博物館のファラオ展など、良いのではないかと思っている。そのついでに、近くの店に寄ることができる。
その周辺の情報を収集する予定だ。
どうせ私は数十年後には必ず死ぬ。
死ぬのならば、なにか、浪費をして、外の世界に触れ、少しでもましに生きた方が良いと思う。
どうせ死ぬのだから、何があったところで、大きな問題ではないのだ。
死にたいと何度も思った。その時死んでいたら、私の今のこの時間は存在していない。
本来ならば存在していなかった時間を、私は大切にすべきとは思わない。
本来存在していなかったからこそ、何かあっても、何も問題はないのだ。
私の本質は、マイナスだ。私の人生の本質は、マイナスだ。
だから、少しでもプラスを感じることができたら、それはもうけものだ。
罰ゲームのように生かされている中で、少しでも良いことがあれば、それはもうけものだ。私は生きるのに向いていない。
私は人生に後悔はない。周りから馬鹿に見えようと、私はその時々で、最善と思われることを行ってきた。
だからこそ、疲れた。
本質的に無限大のマイナスであるからこそ、今後は、何も気負わず、明日に死んだとしても「悔いのない人生だった」「早めに死ねて良かった」と思うようにしていけたら、と思う。