欲の持ち方について
以下の記事で、休日に外出できなくてどうしようと書いた。
先週と今週と、私は電車に1駅だけ乗って外出することができた。急にどうしたのだろうか。
物欲に駆られていた。
私は、これだ、と思ったものに進むことしかできない。途中で躊躇すること、我慢することをすると、何故か酷く苦痛を感じる。
精神がぐらつくのを感じるのだ。
それによって他人が傷つくなら別だが、そうでなければ、私はこれだと思ったものに突き進むことにしている。流石に、何かを購入するにしろ、私は物凄く高いものを欲しがることはない。
これも、脳の過集中に由来することだと思っている。
先週、今週と、物欲があった。
緑色のカーディガンが欲しかった。髪飾りが欲しかった。
だから、電車に乗って、買い物に行けたのだ。物色をし続けた。
つまり、欲があれば、私は動けるのだ。
しかし、欲は失望や絶望の元になる。欲があることと、この世の中を穏やかに生きていくことは、相反する。
欲があれば、友達が欲しいと思うだろう。
欲があれば、世の中を円滑に生きていくために、結婚というステータスが欲しいと思うだろう。
欲があれば、お金が欲しいと思うだろう。
欲があれば、服や装飾品を買い込み、防御力を上げたいと思うだろう。
欲があれば、愛されたいと思うだろう。
欲があって良いことはさらさらない。
ただ、欲があり、それが叶えられることで、幸福感を感じることができるだろう。
欲があることによる利点
- 欲を叶えることで、幸福感を感じられる可能性がある。
- 欲を叶えるため、活動範囲が広がる。
欲があることによる欠点
- 欲が叶えられない場合、絶望、失望する。
- 欲に幸福感が依存しているため、叶えられない欲や他者に依存する欲の場合、気持ちの上がり下がりが激しく、辛い。
結局のところ、バランスなのだとは思う。
ただ、私は、極めてバランスを取ることが難しい人間である。今までずっと、シーソーのような精神状態で生きてきた。
今だってそうである。躁鬱が激しい。
躁の自分と鬱の自分がいて、それが切り替わっている。いつか、人格が分かれそうな気がしている。
最近、外部ストレスによる解離性人格障害の気持ちがなんとなく分かるような気がしている。
欲を持っても良いことと、持ったらリスクが高いことを区別する。
他者に依存した欲は持つべきではない。
ただ、モノに対する欲は、それほど悪いものでもないように感じる。
この区別をつけ、リスクの低い選択をしていくことが、平穏な人生への第一歩なのかもしれない。