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社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

仕事が忙しくなくて辛いのなら、家でも仕事のことを考えていればいい。

仕事が失注した。

もともと、仕事量が少ない業務を組み合わせているグループに所属している。その仕事は、主に私が処理することが決まっていた(そもそも、上司と私しかその技術を持たないというリスクが高い状況)ため、急に暇になった。

 

毎日定時で帰っていると、なんだかもやもやしてくる。

しにたい。

きえたい。

生きていたくない。

むなしい。

つらい。

いつものパターンだ。

余裕があると、雑念が強くなる。だから、仕事が暇になるのは嫌なのだ。

 

そして、はたと思いついた。家でも仕事のことを考えていればよい。

考えるのが嫌になったら、別のことをすればいい話である。

 

仕事なんざ人生で大切なものではない、と思っていた。就職活動時期も、所詮会社は会社で、期待をすべきものでも依存すべきものではないと思っていた。

結局頼るべきものは、自分しかいない。

 

実際、入社してみれば、この会社は案外居心地が良かった。今までの人生で所属してきた集団の中で、最も楽だった。人にも親しみを持っている。

まあ、仕事だから「良い人」を振る舞うのは当然であるが、それで人間関係が心地よいのならば、それは正義である。

 

この前の面談でも、シートに私が仕事のやりがいに「3(ふつう)」に丸を付けていると、「これを4、5に上げていく方法を考えていきましょう」と真面目にフィードバックされ、具体的な方法を例示され、「お、おう……」となった。

確かに、これは上司として適切なアプローチである。が、そこまで真摯にアプローチされると、なんだか妙な罪悪感を感じた。

私はもっと頑張るべきなのか。

 

「やるべきことはやり、自分はできるだけ責任を持たないように予防線を張る」ことを重視して働いてきた。

自分の能力の範囲を超えている、責任範囲を超えている可能性がありそうな場合、すぐさま上司に報告して相談してきた。自分でもやもやを抱えてはいけない。リスクが高まる。それは真実であるように思う。

 

しかし、3年目である今、それだけでいいのかと思えてきた。

初めて後輩を持ったら、彼は個性が強く、対応方法に悩んだ。彼から見習うこと、反面教師にすべきことを感じ、「部下としてどのようなあり方が適切なのか」と考え始めた。

彼に感謝せねばならない。これまで、そのようなことは特に何も考えずに生きてきたからだ。

 

部長から、次長が私のことを褒めていたと伝言で聞いたり、なんやかんやあり、何故だか私はそれなりに評価されているらしい。

そのような状況であるのなら、仕事面で、私はもうひと頑張りすれば、もっと向上するのではないか。

仕事面の技術の向上は、金銭的安定を意味する。そして、私の自己肯定感の向上も狙える。悪いことは何もない。

 

技術面のみではなく、組織で働くものとして、私はどうなるべきかを再度考えてみたい。休みの日に、家で鬱々腐っているより、よほど生産的である。