プライドが高めかつ無愛想な後輩から学んだこと
以下の記事で、会社の後輩について考察していた。
ここ数日で、彼に対して、新しい仮説を立てたため記載してみる。
彼は発達障害ではなく、プライドが高いだけなのかもしれない。
彼は無愛想である。
しかし、私がにこやかに対応することを心がけた結果、彼の表情も和やかになり、反応も見えだした。私のアプローチが間違っていたのかもしれない。
- 私が想定していた新入社員像と異なり、かつ、私が想定していた言動を彼が取ってくれなくて、その動揺と戸惑いが私の表情に現れていた。
- 私の愛想が悪かった(怖がられていたのかもしれない)。
- 彼は私に対して緊張していた。
以上のことから、悪い方向に走っていたのかもしれない。
それはそうだとしても、おそらく、彼はプライドが高い系だと思う。耳にしたこともない仕事内容が飛び交う会議の感想を聞いても、「難しい」「分からない」と言わないとは、なかなかである(彼は「聞き取れなかった」と言った)。
間違いを指摘して謝罪がなかったのも、急いでそれを直そうと言う焦りと衝撃からだったのかもしれない。
上司2名に彼のことを相談したが、両方とも彼に違和感は感じているようだった。「このままでは彼はどこかに躓く」と。
プライドが折れない人生はないのだ。
しかし、それに気づくのは、彼自身である。
与えられた作業を黙々とこなすのは、決して悪いことではない。しかし、それだけでは、いけないことにいつか彼は気付くかもしれない。
母曰く、「岡ひろみは素直だから良いのだ」と言う。仕事面で、自分で判断できることは限られている。他人に聞き、受け止めていくことで、技術が蓄積されていくのだと思う。
そういう面で、次長曰く、「学生気分が抜けきっていない」のだろう。学業は自分で黙々とすれば良いことだった。
会社では、自分だけ仕事ができていても仕方がないのだ。人間の集団として利益を追求することが、社員の目的なのだと思っている。
私は、転ばぬ先の杖、石橋を叩いて渡るタイプだ。上司も、私が確かめなくて失敗するより、確かめた方が良かろうと、無駄に認識を確認に喋りかけてしまう。
しかし、彼はそうではなかった。
隣にすぐに聞ける人がいるのに、質問は最小限、むしろほぼしていないも同然である。
現状の彼のレベルは高いため、今の業務内容では不明点がないのかもしれない、と上司にたしなめられた。ということで、彼のことは、1年ほど経験を積んだ人間だと思うことにした。
彼がこのままいけるのか、躓くのか、観察していきたい。
彼はこのまま伸びていけるのだろうか。
私としては、仕事をきちんとしてくれたらそれでいいので、プライドが高い系なら彼を持ち上げる感じでやっていきたいと思う。
一方、私は、今まで通り、素直に上司に聞き、認識を合わせ、仕事をしていきたい。
彼と言う極端な人間が隣にきて、今までの私を客観視してしまった気分である。
- 愛想は良い方が良い。
- 人間に対して反応はした方が良い。
- きちんとした言葉を話した方が良い。
この歳になって、ようやく以上のことを心の底から理解した。
今まで、基本的に、「やることができていたらそれでいい」と思っていた。彼はそれを極端に実行していた。
今までの人生、私は要領が悪かったのだと思う。
彼は私に大切なことを教えてくれた。
感謝しつつ、彼を見守っていきたい。人生のめぐり合わせというものは面白い。
私は、愛想の良い喋りかけ易い人間を、少しでも装ってみたい。親しげな人間に少しでも近づくのだ。これも仕事である。