【発達障害】この世は、社会に見かけ上適応させて生きていくゲーム
生まれたままの私は、この世の中で生きていくことができなかった。
家の外で社会に曝され、他者の目に曝されること、それによる謎の違和感と生き辛さに苛まれてきた。
人間が何故このように振る舞うのか、何故このようなことが自然にできるのか、分からなかった。
人間と仲良くなること、雑談すること、そもそも人間は自然な状態で何を考えているのか、私にはメカニズムが分からなかった。非定型に感じられ、法則が見いだせず、私はそれに参画できなかった。
そして、私は、それの原因を突き詰め、対応、適応しようとした。
それは自然な流れだったが、結局のところ、多大な労力を払ってそれなりの適応が可能になった対価に、私に絶対的な疲労を感じさせることになった。
他者に対して自己発揮という手段はない。自己発揮しても、許容される可能性はとても低いし、コントロールして発揮しないと「大人げない」ことになる。もう私もいい歳になってしまったのだ。
一方、私の脳は集中と拡散の程度が強すぎるから、コントロールできない場面も多々ある。
集中してしまった対象には、私は自己制御できなくなるのだ。
しかし、それ以外の対象には制御可能であるため、「制御しよう」という意志が、他者に対して私を「落ち着きのある」人間に見せているのだろう。私に関わる多くの人は、皆そう思っているはずである。
私はこの社会を生きるために、常に自己制御する必要がある。嫌気は差してきているが。
何故なら、制御しない私は他者に受け入れられないからだ。
会社で自己制御するのは当然として、その他の場面で人間のことなど気にせねば良いのかもしれない。完全に人間に対する欲求を失えば、楽になれるのかもしれない。
私は人間を恐れている。理解できないものに恐怖を感じることは、人間として当然の反応である。