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社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

【発達障害】一極集中とそれ以外の無関心。あと、容姿の美しさについて。

1つのことに脳が集中する。それ以外のものが目に入らない。興味がない。

というのは、多くの人にあるわけではないのか、と気付いたのは中学生くらいだったと思う。

 

小学生、中学生の時は、生来の自閉傾向が強かった。緩和されていなかったのだ。1つのことに脳が集中する、こだわると、それ以外が目に入らない。知らない内に時間が過ぎる。

その1つのこと以外は、私の目に興味に入らないのだ。

 

私の感覚は、周りとは異なっていた。

中学生の頃になると、周りはお洒落やらなんやらに浮足立っていたものの、私は極度に人の容姿に対する感覚が鈍く、自分の容姿すら正確に把握できていなかった。

大学生時代も、男性の顔が全部同じに見えて仕方がなく、生活上支障が生じていた(今は、慣れで随分と人間の区別はできるようにはなっている)。

ようやく、最近になって、自分の容姿を把握、研究している次第である。私は、情緒面など特定の能力が、10年程度遅れているようだ。

 

昔の私に「何故容姿を構わなかったのか」と聞いても、「興味ないもん」としか答えないだろう。今だって、策略的な容姿の向上による利点を理解(これを理解する上で、一般の人間の感覚を随分と研究した)した上で、有益だと判断し、取り組んでいるのだ。

未だって、本質的に私はこれに「興味がない」のだろう。

 

私が興味を持っていることはなんだって?

定型化できること。普遍的であること。法則性があること。

これに尽きる。「人間の容姿の美しさ」は人間の感覚に由来した、非定型で一過的な感覚であるため、私が興味を持つ類のものではない。

 

ただ、基本的な「美しさ」には、法則があると判断した。

無作為なものより、ある一定の法則に従ったものの方が美しい。ただ、あまりに規則的であってはいけない。

それを、女性向けサイトの記載に基づくと、「抜け感」と言うのだろう。

ぼさぼさの髪より、ストレートな髪の方が美しい。パーマをあてるなら、カールが強くあまりほぐさずにいるものより、自然にほぐした髪の方が美しい。

「自然さ」がキーワードになると思っている。

 

という風に、規則を自分で作るほどに、私はそれに興味を持つことはできた。が、それ以上はもうないのだろうな、と思っている。

 

異性に関して、テレビや芸能に関して、私は同世代女性と比較してびっくりするほどに関心がない。アニメの類の方が興味がある。

母は、そういう私を「性格が悪い」「視野が狭い」と称してきた。多数派から見るとそうなんだろうな、と思う。

でも、興味がないのだ。

 

特定のものに対する深く狭い興味の代償に、私はそれ以外への無関心を運命づけられているように感じる。

人間にも興味がない。ただ、特定の自分と同種の人間に深く狭く興味を持ってしまう。

物事に対するこだわりが強い。

自分が決めたやり方以外、体面上は受け入れる風を装っていても、私は決して受け入れない。

何事も納得しなきゃしたくない。

 

それは「偏屈」だと言われる素養ばかりだ。私は難しい人間である。

ただ、どうしろというのだろうか。

そのように生まれてしまった以上、自分に嘘を吐いて生きろと言うのか。

薬を飲んで、脳内物質を調整し、「平均的」な人間になれと言うのか。

 

「平均的」な人間ばかりで構成する社会は、より良い発展を遂げるだろうか?

否、それはあり得ない。多様性の法則に反している。

短期的な発展は可能だろうが、環境変化に弱すぎる。

 

私は私で仕方がないのだ。「平均的」を目指すなど、愚の骨頂である。

ただ、この一極集中型の性質は、私自身を傷つける。何かに強くのめり込み、依存することは、リスクが高い。リスクを下げるために、薬を飲むのか。いや、私にとってそれはありえない。

 

『自分自身のコントロール』は永遠の課題だ。心安らかに生きられる日は、来るのだろうか。