【発達障害】一極集中とそれ以外の無関心。あと、容姿の美しさについて。
1つのことに脳が集中する。それ以外のものが目に入らない。興味がない。
というのは、多くの人にあるわけではないのか、と気付いたのは中学生くらいだったと思う。
小学生、中学生の時は、生来の自閉傾向が強かった。緩和されていなかったのだ。1つのことに脳が集中する、こだわると、それ以外が目に入らない。知らない内に時間が過ぎる。
その1つのこと以外は、私の目に興味に入らないのだ。
私の感覚は、周りとは異なっていた。
中学生の頃になると、周りはお洒落やらなんやらに浮足立っていたものの、私は極度に人の容姿に対する感覚が鈍く、自分の容姿すら正確に把握できていなかった。
大学生時代も、男性の顔が全部同じに見えて仕方がなく、生活上支障が生じていた(今は、慣れで随分と人間の区別はできるようにはなっている)。
ようやく、最近になって、自分の容姿を把握、研究している次第である。私は、情緒面など特定の能力が、10年程度遅れているようだ。
昔の私に「何故容姿を構わなかったのか」と聞いても、「興味ないもん」としか答えないだろう。今だって、策略的な容姿の向上による利点を理解(これを理解する上で、一般の人間の感覚を随分と研究した)した上で、有益だと判断し、取り組んでいるのだ。
未だって、本質的に私はこれに「興味がない」のだろう。
私が興味を持っていることはなんだって?
定型化できること。普遍的であること。法則性があること。
これに尽きる。「人間の容姿の美しさ」は人間の感覚に由来した、非定型で一過的な感覚であるため、私が興味を持つ類のものではない。
ただ、基本的な「美しさ」には、法則があると判断した。
無作為なものより、ある一定の法則に従ったものの方が美しい。ただ、あまりに規則的であってはいけない。
それを、女性向けサイトの記載に基づくと、「抜け感」と言うのだろう。
ぼさぼさの髪より、ストレートな髪の方が美しい。パーマをあてるなら、カールが強くあまりほぐさずにいるものより、自然にほぐした髪の方が美しい。
「自然さ」がキーワードになると思っている。
という風に、規則を自分で作るほどに、私はそれに興味を持つことはできた。が、それ以上はもうないのだろうな、と思っている。
異性に関して、テレビや芸能に関して、私は同世代女性と比較してびっくりするほどに関心がない。アニメの類の方が興味がある。
母は、そういう私を「性格が悪い」「視野が狭い」と称してきた。多数派から見るとそうなんだろうな、と思う。
でも、興味がないのだ。
特定のものに対する深く狭い興味の代償に、私はそれ以外への無関心を運命づけられているように感じる。
人間にも興味がない。ただ、特定の自分と同種の人間に深く狭く興味を持ってしまう。
物事に対するこだわりが強い。
自分が決めたやり方以外、体面上は受け入れる風を装っていても、私は決して受け入れない。
何事も納得しなきゃしたくない。
それは「偏屈」だと言われる素養ばかりだ。私は難しい人間である。
ただ、どうしろというのだろうか。
そのように生まれてしまった以上、自分に嘘を吐いて生きろと言うのか。
薬を飲んで、脳内物質を調整し、「平均的」な人間になれと言うのか。
「平均的」な人間ばかりで構成する社会は、より良い発展を遂げるだろうか?
否、それはあり得ない。多様性の法則に反している。
短期的な発展は可能だろうが、環境変化に弱すぎる。
私は私で仕方がないのだ。「平均的」を目指すなど、愚の骨頂である。
ただ、この一極集中型の性質は、私自身を傷つける。何かに強くのめり込み、依存することは、リスクが高い。リスクを下げるために、薬を飲むのか。いや、私にとってそれはありえない。
『自分自身のコントロール』は永遠の課題だ。心安らかに生きられる日は、来るのだろうか。