社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

気を紛らせていないと絶望感が強い。

気を紛らせていないと、抱えきれないストレスによる絶望感が強い。

1年ほどこのような状態であるため、その度にさっさと人生を終わらせてしまいたいと思う。気を紛らす要因を増やすため、ブログを作った側面がある。

 

脳の容量を超えるのではないかと思うほど強いストレスを感じると、その後の症状は2パターンに分かれる。

 

胸が痛くなって涙が止まらなくなる。

このパターンは、分かりやすい。ただ、胸が耐えられないほど痛くなるため、心の中で何かに「助けて」と感じることが多い。

ただ、この軽いパターンに陥っている時、何かに気を取られるとすぐに機嫌が良くなったりするため、私の脳は不思議である。ただ、程度が重いほど、そのようなパターンは限りなく減っていく。

 

「涙が出る」というストレス対応ができているため、それで症状は完結するのだと考えている。鬱の指数でも、一番ストレスが高いのは、「泣きたいのに泣けない時」であった。

仕事でこの指数のシステムを作ることになり、テストがてら自分でやってみたら、軽度~中度の鬱だったのは秘密だ。

 

この症状は今までの人生で既にあったもののため、珍しいものではない。胸が痛い以外は実害はない。

 

無意識にストレス対応ができずに、体が気持ち悪くなってきて、体に痛みを与えて何とか耐える。

今回の新しいストレス対応がこれになる。

手の平に爪を立てる、太ももをひっかく、などの身体に血が出るほどの傷をつけない方法までで、なんとか堪えることができている。

 

強い絶望感で脳が焼き切れるかと思うのに、体が何も反応できずにいると、耐えられず体に刺激を与え、絶望から気を紛らす。自然と手が出たので、自傷というのは、人間に元々備わった反応のようだ。

昔は、自傷をする人間は弱いのだなあと思っていたが、今は、その状態に出るまで苦しみを耐えてきたという面で、決して弱いわけではないのだと、ようやく分かった。

昔の私は、そこまでのストレスを浴びていなかっただけだったのだ。

 

この症状は、なかなかにしんどい。体がストレスに自然に反応を取れていないことになる。パニック症状のしんどさには及ばないが。

 

昔は、精神的に病気を持っていたりする人間に対し、「弱いんだなあ」としか思っていなかったが、今になると、そういう人に強く同感でき、優しくなれた気がする。

小学生くらいまでの昔の私は、あまりにも世の中を知らなかった。そのくらいの歳の無知は、許されるものであるだろうけれど。

 

もし神様がいるのだとしたら、「優しくなるため」に試練を与えるのは、なんだか過酷だなあと思う。

しかし、これらはきっと、私が要因となって引き起こした、私が生きていくために必要な事柄であったのだろうか、とも思う。

 

私が強い興味を示した人間は、数人存在した。何故強い興味を示したかは、分からない。

顔を合わせた瞬間、顔を見なくてもその人の書いた文字を見た瞬間、私の脳は過度に集中を示した。意志は介在していないのだ。

人間に過度に集中することは、とてもリスクが高い。結果、このような状態になってしまったわけである。

 

今後は、ストレスを軽減するため、人間から意識をそらして生きていきたい。他の人間に強く興味を持たないことだ。

私の脳は、深く狭く興味を示す。自閉的性質の所以である。

早く、この脳から解放されたい。「人間」に興味を示すのを、意識的にやめていきたい。興味を示すのなら、「人間」以外だ。