私は他人の役に立たないと生きていてはいけないのか。
今日は、会社で他部署への研修を実施した。
実施した後、複数人から、「よく分かった」などとお褒めの言葉を預かり(まあ、研修をした本人に貶すことを言うことはあるまい)、残業して準備した苦労が報われたような、人間の役に立って良かったな、という感覚を得た。
その感覚は、自己肯定感を増すようなもので、「生きても良い」と周りから言われているようで、心地良かった。……心地良かった?
人間は他人の役に立たないと生きてはいてはいけないのだろうか。
『人の役に立つこと』が生きるための条件だとしたら、生まれつきの素養で、人に介護されることが運命付けられている人は、生きていてはいけないのだろうか。
少し前、障害者施設での殺人事件が世の中を騒がせた。
優生思想のような、画一的な思想は、世の中の多くの人を不幸にすると思っているのに、私は日常の事柄において「他人の役に立つ」ことを「生きるための条件」として重要視しているのであろうか。
それとも、単に「他人に感謝される」ことを嬉しがる、という人間としての素直な感覚だったのだろうか。
それとも、私が自己肯定感が低く、また他人への対応に自信がないから、この事柄が深く心に刻まれたのだろうか。
いずれにしても、私は、自己肯定感のレベルを上げ、もう少し健全な精神を持った方が良いのだろう。そうしたら、自分に対しても、他人に対しても、優しくなれるのかもしれない。
また、「他人」に依存した生き方を止めようと思っていたのに、無意識に「他人」の反応で一喜一憂する自分自身に、少し失望した。
「他人」の反応は私の全てではない、とより深く心に刻んでいきたい。
「他人」に依存した人生は、とてもリスクが高いから、それを排除するのだ。私の脳は、一定のものへ深く狭く興味を持つ。リスクが高い脳だから、意識していかねばならない。
私は私に自信を持ち、責任を持ち、他人に揺るがされない人間になるのだ。