社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

【発達障害】発達障害当事者が幸せに生きる方法

今までの私の人生は間違っていた。

最も苦手である、対人関係の能力の欠損を、埋めよう、埋めようとしていた。それらは、労力がかかる割に、見返りがほとんどない。

 

発達障害の人全般に言えることだが、能力には定型発達の人よりも凹凸がある。凹の部分ばかり見ていると、自己肯定感の減少、ひいては鬱症状を生じる可能性が高い。これが、いわゆる、二次障害なのだと思っている。

※無理にそれを補完しようと、多くの時間を全力で活動し、疲れ果てたのが私である。

一方、凸の部分は、放っておいてもそれはそれなりだったため、目にかけようとしなかった。これが私の間違いだった。

 

自覚のある発達障害者はあまり自分の不得意領域ばかりに目を向けるな。

 

生きていくためには、凹の能力の補完は確かに必要な面がある。ただし、それ以上の何物でもないのだ。

凹の能力の補完をしていく上で、思いつめて「自分は駄目な人間だ」などと思うことは、本末転倒である。

 

この世界は、多数派によって構成されている。だから、多数派に合わせた行動をすることが求められる。それは、定型発達の人間でも同じことで、みんな何かしら無理をしているのだ。

ただ、発達障害の人間は、生まれつき元々の偏差値が低い、または高く平均からずれているため、その無理が「多大な無理」になる。

「多大な無理」を積み重ね、人生を悲観したり、自己嫌悪したりするのは、本末転倒だ。だから、必要最小限の能力の補完で良い、後は自分の好きなことをやって、楽しく生きればいい。

 

誰にだって楽しく生きる権利はあるのだ。自己の人格の否定は、無益である。だって、単に、平均からずれているだけで、発達障害者が多数派になれば、定型発達者がきっと障害者扱いされるだろう。

医学では、平均からずれていると、病気になる。臨床検査でも、基準値というものがあり、個人の特性はさておき、平均からX%ずれたら異常になるのだ。

 

私のように、ストレスを重ね、身体症状(パニック障害)が出るまで何も頑張る必要はないと思う。精神は、圧力を加われば変形し、2度と元に戻らない。身体も、1度崩れれば、治すためには大きな労力が必要になる。

致命的な症状が出る前に、絶対に不得意領域から目を背けるのだ。

 

私の今後のステップは、

苦手なことを諦め、得意なことに邁進する

自己肯定感UP

生き辛さ解消

と考えている。論理活動は強いため、仕事の面で頑張っていきたい。幸い、仕事上の人間関係は、今まで生きてきた中で一番良好なのだ。