社会不適合者の生きる方法

発達障害傾向の孤独な喪女(26)が考えた、「私が」楽に生きる方法など雑記 【発達障害/パニック障害/場面緘黙/プチプラコスメ】

何故私には友達ができないのか。

はじめまして。そるとと申します。タイトルのような内容で、鬱々と分析していきます。よろしくお願いします。

 

掲題(何故私には友達ができないのか。)について
  1. 今までの環境で、同調、共感できる同世代同性にほとんど出会わなかったため:環境要因
  2. 社交面の自信が全くなく、及び腰となり、人間から避けていたため:自己要因

上記2点の複合により、現時点で友達というものがいないと考えらえる。

1.について(環境要因)

中学時代、グループワークで、ある女性の言っている意味が理解できず何度も問い詰めたことがあった。そうしていると、周りの人の冷たい目線、目線……私は自分が少数派だと思い知り、それ以後、姿を潜めて生きてきた。

大学時代も、いわゆるオタクグループ(とりあえず所属はしていた)に本当の意味で馴染めず、図書館でまったりと過ごし、お昼も1人で食堂で食べると言う、自由な生活をエンジョイしていた。

社会人になった今、お昼は『同期と食べなければならない』というミッションが存在する。彼女らの話す「テレビ」「芸能人」「ドラマ」「お洒落」「男」「遊び」には全く同感、共感を示せず、かといって彼女らに馴染む振りを放棄(これが私が私である所以である!)している私は、何も喋ることはなく黙々と食事をする。

※大勢の人間が歓談する場では、私は場面緘黙が発動するため、その要因も存在する。

一方、仕事上で関わる上司、先輩などには、同期などより素で接することができる。『同世代女性は理解が難しいが、自分もそこに属しているため、彼女らに馴染む行動をしなければならない』という自分が作り出した圧力で、私は潰されているものと思われる。

しかし、今までの人生上、特に学生時代に最も関わったのは、同世代女性であった。これでは、友達もできないわけである。

 

2.について(自己要因)

1.で示した通り、私は姿を潜めて生きてきた。自分が社会上で、人間に好かれる性分ではないと思っている。

特に、大学時代、私の中で一番親しくしていた友人はいたものの、彼女は私をプライベートな遊び相手にすることは全くなく、ほとんど接点なく卒業した、という事実は、私の自己肯定感を下げた。かといって、彼女に接点を持とうという積極的な働きかけをしなかった私にも問題はあるものの、その時点でそのような行動を取れるほど、自分に自信はなかったのだ。

発達障害の気があると自分で判断し(未診断)、人間の行動を、火星の人類学者のように観察し、理論的に模倣して生きてきた。つまり、人間は、観察対象であり、『自分とは異なる』生き物であるという気持ちが存在する。私を蝕んできたストレスの原因は、ほとんど対人関係である。

 

まとめ

26年生きてきて、人間の観察を続けてきて、結局、対人関係は未だストレスを多くはらむ事柄である。諦めることにした。

必要以上の人間との関わりはしない、という姿勢は、私の人生を楽にするだろう。今、死にたい死にたいと毎日思う生活を、幾分か楽にできれば、と思っている。対人は私の脳には向いていないため、潔く諦めるのだ。

将来的には、ロボットと一緒に暮らしたいと思っている。ロボットの論理回路を私は信頼、安心できる。

また、今のマイナスの気持ちを、人間(彼氏、友達など)を側に置くことで解消しようという試みは、根本的な解決に至らない。その人間の数が多ければ、リスクは分散されるため、良い解決方法なのかもしれない。だが、私は多くの人間と交友関係を結ぶことはできない。

結局のところ、自分の足でしっかりとした土台を踏みしめて生きること以外、精神が安定する道はないのだ。

 

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